週6でラーメンを食べていた男が海外に行ってから二ヶ月が経過した
はてなブログっぽいタイトルにしてみました.深い意味はありません.
さて,タイトル通りですが,オランダにきてから約二ヶ月が経ちました.
オランダは治安もよく住みやすい街なのですが,やはりどうしても日本に帰りたいなぁと思うことはあります.
その最たる原因はやはり”食”ですね.
日本食がないわけではないのですが,手に入れるのが少し面倒だったり,そもそも家に炊飯器がなかったりで,完全にパン食の日々を送っていました.
中でもラーメン欲はかなりきつく,ツイッターで回ってくるラーメンの画像に辛酸を舐め続けていました.
日本では週6回食べていたものを一切食べなくなるのは想像以上にきついですね.
そんな中,ロッテルダムをぶらぶら歩いていたら,ラーメン屋さんを見つけました.
すごい名前だな・・・と思いましたけど,カタカナの"ラーメン"を見た瞬間に思考停止で店内に入ってしまいました.
中に入ると日本のラーメン屋みたいな雰囲気でした.(写真撮り忘れた)
値段は13€(1500円ちょっと)とかなり高め・・・まあでも完全に思考が停止していたのでとんこつラーメンを頼みました.(思考停止しすぎて「たかっ・・・」って呟いちゃった気がしますけど)
日本人の店員さんが一人いて,久々に面と向かって日本人としゃべりました.(さっき「たかっ」って呟いたのバレてる説)
中では米津玄師が流れており,店内の雰囲気は完全に日本でしたね.
ラーメンは普通においしいとんこつでした.
箸が久々すぎて使い方が最初微妙にわからなくてびっくりしましたね.
まあ研究のメモで文字書いてて自分の名字に使われてる漢字が書けなくなったりしてるので割とある事な気がします.サンプルが僕だけですけど.
日本人がいて日本の味で日本の曲が流れていると,そりゃまあ日本に帰りたくなりますね,今日が二ヶ月で一番ホームシックになりました.ラーメン食べながら泣きそうになってましたね.
半分くらい食べて思い出したんですけど,二時間前にマックで昼飯を食べていたんですよね.完全に思考停止してたから忘れてました.
14時半くらいに行ったんですけど,まだ余裕でおなかに残っていました.完飲しましたけど.
店員さんもいい人で,また今度絶対行こうって決めました.こっちの日本大好きなオランダ人の友達を連れて行こうかなぁ.
ではでは.
進捗報告
マジで更新をサボっていたから前回の進捗報告が48日前になってる・・・
まあどこに需要があるんだって感じの記事なんでいいんですけどね.
とりあえずは,オランダで研究をしています.
自分のそもそもの留学の目的は,海外のレベルの高い研究室の雰囲気を感じることだったので,Guest researcherとはいえお手伝いをするくらいの感じでいました.
でも,先生にあいさつするや否や,「君の留学の到達点はどこだい?」みたいな話をされてビビりましたね.
でも,これからのことを考えると新しい環境で違う研究をするのも必要だなと感じたので,半年で一つの研究を論文として発表するくらいにはしたいなといった感じです.
てことで,色々論文を読んだりしてやることを考えている感じです.
個人的には日本でやってることはいったん置いておいて,違うことをやりたい感じもあるんですけど,なかなか方向性が決まらない・・・
たまには大衆受けする研究もしたいなぁと思いながらね.
来週の進捗報告ではやることがきまっているくらいが目標かなぁ
お疲れ様です.
オランダ留学日記 一週目+α
Hallo!
ということでね,留学の日記をつけていきたいと思います.
一日一日に何が起こったかなどはTwitterの方で書いているので,こっちではもうちょっとざっくりとした環境についてなどを話していけたらいいかなと思います.
Twitterはこちら
https://twitter.com/coast_Gjirea
で,皆さん「え,こいつ留学行ってるのに綴り間違えてんじゃんw」って思ったでしょう.
これはオランダ語で「やあ!」くらいの意味なんです,もしこれからHelloの綴りを間違えても,「間違えてオランダ語使っちゃった」といえば乗り切れます.
っていうのはどうでもいいとして,いろいろと留学の情報を書いていきます.
自己紹介
その前に自分の経歴をば,別の記事にも書いてありますが,簡単に色々書きます.
自分は都内の理工系の国立大学の大学院で交通工学を専門に研究をしています.肩書は修士の学生です.
将来的には研究者になれたらなぁという感じで頑張っています.
英語自体はしゃべりの方をコミュ力でごまかしている感じです,書けないし読めないし聞けないで結構不安でした.
まあでも教授の無茶ぶりによる,"いきなり香港大学の学生に日本語でもしたことのないキャンパスツアー in English" みたいなのはギリギリこなせる位の英語力はあります.
2019年の10月から半年間,オランダのデルフト工科大学というところでGuest Researcherとして留学しています.
留学をしようと思った理由は,もともと研究者になるつもりはなく,社会人になってからヨーロッパに長いこと行くことは難しいかなと思っていました.
また,3年生の最後に友達と韓国旅行に行ったときに,ちっちゃい博物館のおばさんの英語が早すぎて聞き取れなかったのに危機感を覚えて,英語力を強化したくなったというのもありますw
そこで,4年生の研究室配属の時点で教授に留学の意思を伝えていたため,そのまま留学することになったって感じです.
オランダにした理由はいろいろあるのですが,先述したヨーロッパでかつ,レベルの高い環境に身を投じたかったという感じです.
デルフト工科大学は土木分野で世界TOP5に入る大学で,自分の交通工学の分野でも有名な先生がおり,そこに所属している感じです.
ちなみにオランダ語は全く分かりません,一応留学前に6000円くらいかけて色々本を買ったけど5分くらいしか読んでないです.
他の細かい情報はこちらにあります.
https://coast-gjirea.hatenablog.com/entry/2019/07/22/073042
留学の手続きなど
よく聞かれるし一番需要があると思うので書いておきます.(といっても結構特殊なので参考になるかはわかりませんが・・・)
2019年の10月からということで,去年の末くらいから色々大学を探したりしていました.
うちの大学は色々な大学と提携していて,そこをとりあえずは探していた感じです.
自分は単位の互換などをするつもりはなく,ただ研究室の雰囲気を感じたかっただけなのであまりそこにこだわる必要はなかったのですが,色々と援助ももらえるかなという思いもありました.
研究室に配属するには教授と連絡を取らなきゃいけないので,そこは全部自分(とこちらの教授)でやりました.
向こうの教授に直接,「何でもいいからとりあえず半年籍を置かしてください」といった感じのメールを送りました.
最初はドイツのミュンヘン工科大学の先生に送ったら,「君英語力無いからダメ」と言われました...w
いつか後悔させてやると心に誓いながら,デルフト工科大学の先生にメールを送ったら,
「めっちゃ忙しくて相手できないかもだけどいいよ!」
くらいのテンションでメールが返ってきました.
日本の大学での手続きはほぼ何もしていません,日本の大学の学費も払いながら長期出張みたいな感じで留学しています.
これは,自分のTOEICの点数や成績が悪すぎてその辺のプログラムに乗れなかったっていうのもあります,お恥ずかしながら.
オランダでの学費は払っていません,それこそGuest Researcherとして滞在しているだけです.でも,学生証みたいなものはもらえる(はず)ですし,家の仲介なんかもしてくれました.
色々と苦労しましたが,引きが良かったのか秘書さんや人事の方が丁寧に応対してくれたのである程度スムーズに諸々の手続きを終えることができました.
これなら100万円しないくらいで留学できますし,個人的には割とおススメです.
(僕は奨学金ですべて賄いました.実家が貧乏なので援助はありませんが何とか耐えられるくらいの感じです.)
一週間ちょっと滞在した感想
まず,デルフト工科大学がデカいというのに尽きます.
一つの学科がこの規模です,左右にあと三倍くらいでかいんですよ,なんじゃそりゃ.
学科内に専用の食堂やバーがあります.意味不明.
他の大学に行ったことがないのでこれがグローバルスタンダードなのかわかりませんが,とりあえずこの大学はマジででかいです.
そもそも日本では「え?土木?工事でもしてるの?」みたいな扱いの土木学科がこんなにもデカい顔をしているあたり感動しました.
オランダ自体の環境としては,かなり快適な方だと思います.
まず,オランダ語が分からなくてもほとんど不便はありません.
そこら辺のスーパーでバイトしている高校生くらいの子でも,日本人の95%よりは英語がうまいです.
国際的な大学が近くにあるからというのもあるかもしれませんが,それでも英語はほぼ100%通じます,僕に英語が通じない可能性の方がよっぽど高いです.
ただ,スーパーの品目や,標識などはオランダ語なので,簡単なものを読めるくらいは必要な気もします.
また,デルフトの人はめちゃくちゃ親切です.
日本人は潜在的に海外の人は不親切みたいな偏見があると思いますが,全くそんなことはありません.スキンヘッドに髭面の携帯ショップのオッサンもめちゃくちゃ親切にsimカードの使い方を教えてくれます.
治安もかなりいいと思います.これは田舎だからっていうのがありそうですが,10日以上滞在して警察を一度も見ていません.
ただ,文化の違いによるギャップは少なからずあるので,そこは我慢しましょう.
車はほとんど通っていないです,町が結構小さいのもあって自転車がかなり多いです.
一番大事なのは,オランダは直ぐに夜になります.
これは天体的な意味ではなく,店がすぐ閉まるということです.
20時になったらお店はほとんどやっていません,19時ですら携帯ショップなどは閉まっています.
これは完全に文化の違いです.夜中はみんな家でゆっくりするという文化らしく,店員も勿論早く帰るといった感じです.
日本の感覚で夜中にコンビニ行くだとか,19時まで大学で作業してそのあとに買い物みたいなことはほぼ不可能です.
まあ後は物価は割と高めですね,日本よりは少し高いです.
マックが日本と同じ量食べると1.2倍くらいする印象です.コーラは1.5L×6本のセットで1200円くらい.
外食はめっちゃ高いです.お酒はめっちゃ安いんですけどね・・・
気候は結構寒いです.もう完全に冬です.とは言っても東京よりも少し寒いくらいですかね.
オランダ自体はマイナーな印象のある国ですが,個人的にはとてものどかでいいところなのでおススメです.
ではでは.
先週と今週の進捗
お久しぶりです.油断してるとすぐにブログの存在を忘れてしまいます.
まあ強制的に書きたくもないのに書く必要はないんですが,それでも自分が言ったことは守らなきゃなぁといった感じです.一応進捗管理も兼ねてるんできちんとせねば・・・
先週の平日は・・・何をしていたんでしょうかね.一応先週の週末にゼミ合宿(学内開催)があって,その幹事長だったのでそれの準備で色々やっていた気がします.
僕が所属している研究室を含めた五つの研究室が合わさった研究ユニットがあるのですが,定期的にゼミや発表会,懇親会などが開かれます.
今回のゼミ合宿は修士二年生の学生が修論に向けてどういった研究をしていくのかという報告と,アドバイスをいただくというものでした.
ゼミ合宿と聞くと,普通の人はお酒を飲んでワイワイキャッキャするみたいなのを想像すると思いますが,我々のゼミ合宿は永遠にゼミをします.20時間以上.
まあ僕は人の研究を聞いたり質問するのは割と好きなんでいいのですが,それでもなかなかハードでしたね.幹事長だったので色々やることもあって結構大変でした.
まあゼミ合宿は割となんとでもなりました.うちの先輩方は割と厳しいコメントをもらっていたりしていましたが・・・(まあ僕も質問したんですが)
今週は,研究室が夏休みムードだってこともあってゆるゆるとやっていました.
留学の準備やらなんやらをしていましたね.向こうの先生から,「君は色々と手続きをしているようだけど,そんなものはいらないと思うよ.住む場所と研究に対する思いだけで十分さ」みたいな熱いメールが来たのもあって準備を色々進めました.
住む場所を確保するための手続きだっての.って思いながらも,頑張らなきゃなとも思いました.
そういえば,8月上旬の学会で発表した論文が賞を頂けました!わーいわい
なかなか奇をてらったテーマで,学会全体のテーマとは少し外れるためそういうのに縁はないのかなと思っていましたが,結構いい評価をしていただいたようです.
あんまり自分の成果が認められるみたいな経験はなかったので,素直にうれしかったです.先生方にも良い恩返しができたのかなと思います.(これからもっと迷惑をかけていくと思いますが・・・w)
この調子で頑張っていきたいですね.
お疲れ様です.
今週の進捗
そういややってなかったなと思ったんでダラダラ書きます.
まあ今週はお盆だったので特に何もしてません,先週書いていた論文をちゃんと提出したくらいですかね.
.docx対応しているって聞いてたので数式が今まで通り入れられるしこともあってこっちで書いてたんですけど,出したときにまさかのエラー,.docに変換すると色々ズレるわで発狂しかけましたね.結局ズレてるのを直したり図を小さくして.docで出しましたけど・・・
あと,すごい久々にお墓参りに行きました.うちは親族関係が少し複雑なこともあってなかなかいくことはなかったんですが,まあ色々ありましてたまには近況報告位するかってことで祖父と祖母,その祖母側の曾祖母のお墓に行ってきました.
学生といっても周りはもう就職してますし,いろいろ常識を身に着けていかなきゃなということを常に頭の片隅に置いて生きているんですが,墓参りとかは何をどうすればいいのかとたじろぎながらお掃除やらをしました.
そろそろ海外にも行きますし,見守っててねとお願いしてきました.まだ祖父と祖母が元気だったころは中学生で別に研究者になりたいだとか留学したいだとかは全く考えてなかったので,ビックリしていると思います.がんばるぞー
来週(っていうかまあ今週)はまた論文を書くという作業が待っています.まあ今回のは日本語なのでチャチャっとかけるかなぁ・・・といった感じですね.
お疲れ様です.
時差という概念
皆さん時差を体感したことはありますか?海外に行ったことがなくて,国外にリアルタイムで連絡を取り合う知り合いなどはいないみたいな人はワールドカップなどでしか体感しないと思います.
では,その時差についてよく考えたことはありますか?たぶんほとんどの人はないと思います.
今でこそ,正確な時計や世界的な通信手段があるため時差という概念を体感しやすくなっていますが,そもそも時差という概念が生まれたのはいつなのでしょうか?
今回はその辺についてつらつら書いていきます.
(以下,自分の憶測なども含みます.参考文献がある場所は示しますが,間違っていることもあると思うので何か見つけたら教えてくれると助かります.)
まず,時差について少し話します.wikipediaとかで調べてもあんまり出てこないんですよね,そもそも標準時で出てきますし.あまりみんな調べないんですかね.
時差が起きる原因は,ずばり地球の自転にあります.
え?知ってるって?まあそりゃそうですよね.
地球はいわゆる日本人が良く使う地図において,日本が右に動く向きで回転しています.
この図はメルカトル図法で描いた地図における,昼と夜を表した図です.(ふと思ったんですけどこの図でメルカトル図法のゆがみが説明できたりしそうですね.)
調べれば割と普通に出てきます.オンラインゲームなんかにも出てたりしますね.
この図は時間がたつと,明るいところと暗いところが左に移動していきます.暗いところから明るいところになると日の出になり,暗いところになると日が沈みます.
しかし,本来は地図そのものが右に動いていく方が天体の動きを知るにはいいかもしれません.
松岡修造のように君は太陽だ!といった感じになると,動いているのは地球であり,太陽は常に同じ方向から地球を照らしています.
(まあ技術的には明るいところと暗いところを移動させたほうが楽なんでしょうけど・・・)
なんでこんな話をしたかというと,時差が起きる原因はこの昼と夜に関係しているからです.
人間は元来太陽をもとに行動していました.電気も無いはるか昔の時代は,太陽が出てきたら起きて,太陽が頂点に昇るとお昼時,太陽が沈んだらまた明日といった風にお日様が人類,はたまた多くの動物の行動を左右していました.
だからこそ"鶏が鳴いたら門を開ける"みたいな法律のおかげで孟嘗君が秦を脱出できたのです.(よくわからない人は鶏鳴狗盗で調べてみよう.)
そのため,各地の時計のようなものは太陽を基準に作られており,近世では,太陽が一番高いところに来た時を12時にしようという風に決められていました.[1]
これが現在の時差の概念のもとになりました.
もし,みんな同じ時間で生きよう!アメリカが15時なら全部15時!15時ならみんなティータイムだよね!みたいなことになってしまったら.アメリカのほぼ反対にある中国では真夜中に茶を沸かすことになってしまいます.もしくは,夜中の3時を時計が示しているのにおやつを食べるかもしれません.いきなりそんな風になると気がくるってしまいますね.
逆に.東京で太陽が昇りきる時刻と大阪で昇りきる時刻は違うよね!全部別々にしよう!みたいなことになると,新幹線で移動するときに常に腕時計を合わせる必要があります.
後者のようなことは実際に過去に起きており,大陸を横断するような大きい鉄道に乗る際には,時刻表が各駅によって違うなどの混乱が起きてしまいました.
こういうことを避けるために,19世紀末にSandford Flemingさんが現在使われている標準時のようなシステムを提案しました.これによりある程度の頻度で時計を変えればどうにか色々な街で過ごすことが出来るようになりました.
この図は世界の標準時を表しています.日本は+9となっています.これはイギリスなどから見て9時間進んでいるということです.
なぜイギリスなのかと言いますと,イギリスにあるグリニッジ天文台が基準だからです.
これが決められた当時に世界の多くでイギリスにあるグリニッジ天文台を基準に経度(のような概念)を計測していました.そこで,この天文台を経度0°と定義しようという風に世界会議で決定されました.それに伴い,ここでの時間を世界的な時間の基準することに決まりました.[2]
この図を見ると色々面白いですね.ロシアがとてもカラフルです.グリーンランドの東の方はどうなっているんだ・・・?
僕が今度留学に行くオランダとは7時間の時差がありますね.お昼に連絡が来てもまだ5時です.逆に,夜に連絡をすると日本は深夜ですね.少し不便・・・
僕はこの図を学校で習ったときには中国について教えられました.あんなに広い国土を持ちながら,一つの時間で生きています.
もし,スタンダードに分割するならば,五つに分割されているはずです.東の方の人が正午のとき,西の方の人はまだ日が昇ってない可能性だってありますね.やはり東の方に人が固まっているため,そちらに合わせているのでしょう.
日本の時間は兵庫県明石市が基準になっているという話は聞いたことがあるかもしれません.それは,東経135度を通る線が明石市を通っているからです.
なぜ135度なのかというと,地球を24個の標準時帯で区切ろうとすると一つの時間帯あたり,360°/24=15°になります.135は丁度15×9であるため,ここを基準にするのが良いだろうということです.
これは明石市も推しているみたいですね,確かに明石出身の友人に初めて会ったときはこの話になりました.
日本は小さい国ですから,ロシアのように一つの国でいくつも標準時を設定する必要はありません.
札幌が12時なら,沖縄も12時です.太陽の位置もあまり変わりません.
ちなみに,この標準時帯か経度のどちらかがわかっていると,もう一方がある程度求められたりします.中国のような例もありますが・・・
日本が世界の基準よりも9時間早いことにより,国際学会の締め切りなどで色々と混乱が生じます.(日本に限ったことではありませんが)
例えば,ニューヨークの学会の論文の締め切りが10/30の20時であった場合,ニューヨークの20時なのか,それともイギリスの20時なのか,はたまた提出元である日本の20時なのかわからなくなります.
ニューヨークは4時間遅いので,東京から見たら13時間も遅いことになります.ニューヨークの10/30の20時は,日本の11/1の9時ですので,次の日の朝までは耐えられます.
しかし,その気分でいたら実はイギリスの20時でした,となると日が変わるまでに仕上げなければならない!と焦ることになります.
幸い日本は大体の国より早いため,自分のところの20時よりも実は早かった!なんてことにはほぼなりませんが,アメリカの人とかはたまったもんじゃないですね.
聞くところによると,"すべての国と地域が20時になったら"といった感じになっていることが多いらしいです.元々明示されていることもありますが,全部がそうだと思っていたら・・・なんてことがあると怖いので,論文は早めに書きましょう.書かなきゃなぁ・・・
以上をまとめますと,時差という概念は人々が太陽の動きを元に時間を決めていることに由来します.それに伴い世界的に標準時というものが出来上がりました.
もし今の技術そのままに未だに標準時が決められていなければ,世界はすべてアメリカの時間で生きていたかもしれない・・・?そんなことはないか.
ただ,そうなると日本を10時に出発するとオランダには14時には着くよみたいな一見飛行機半端ないってみたいなことは起こらないですし便利は便利かもしれませんね
次は時差の歴史について・・・と行きたいところですがとても長くなったのでいったんここで終わります.
自分が色々気になって調べたことを書くとすぐ長くなりますね.むしろここからを書きたかったのですがなかなか・・・この記事誰に需要があるんだろう・・・?そんなこと気にしたらブログなんてできませんね.
お疲れ様です.ぜひ次のも見てくれると幸いです.
参考文献
[1] Thought.co: The History of the Standardization of Time Zones
https://www.thoughtco.com/what-are-time-zones-1435358
[2] Royal Museums Greenwich: What is the Prime Meridian and why is it in Greenwich?
https://www.rmg.co.uk/discover/explore/prime-meridian-greenwich