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人を教育するということ

 自分は将来何事もなければ大学の教員になるつもりである.

 元々先生になる,というよりドクターに行くなんて全く思ってなかった.
 普通に研究室見学の時は「三菱地所とか行きたいんですけど,この研究室から行った人とかいますか?」って聞いて入ったし.

 でも研究室に所属して研究が楽しくなったとともに,自分の指導教員への憧れみたいなものからドクターに行って大学に残ろうかなと思った.
 あんまり周りには言ってこなかったけど,結構指導教員への憧れの部分がドクターに行った理由の中ではデカい.

 うちの先生は学生との時間をすごく大切にしてくれている.世の中には結構放任主義で学生とほとんどコミュニケーション取らない研究室もあるらしいけど,うちは相当取ってくれるし,いろんな話も聞かせてくれる.

 そういう教育者としての面から,自分は将来ああいう人になりたいなって思った.
 だからドクター行くと決めたときにそのまま大学に残って大学の教員になると決めた.

 

 自分はお世辞にも優秀な学生とは言えなかった.いや今はたぶん結構優秀な方.自称.

 少なくとも成績はめっちゃ悪い.下から数えたほうが圧倒的に早いし,分野の授業を半分くらい落としていて,別の先生から苦言を呈されたこともある.(精進します)
 そんな学生が研究室に来たら普通は「ああこいつは多分バカなんだな」って思って接する.結構そういう先生はいる.まあでも自然な発想だと思う.
 でもうちの先生はそんなアホでも結構やりたいことを尊重してくれるし,協力もしてくれる.感謝しかない.

 だから自分は将来自分みたいな学生が自由にやらせて貰えるような研究室を作りたいなって思ってる.

 

 でも,自分は「教育者」としての指導を受けたことが無い,たぶんドクターの間にそういう授業はあるんだろうけど.
 少なくとも現状は一度も受けたことが無いからあんまり考えたことが無かった,”人を教育する”ということがどういうことなのか.

 結構人に何かを教えるのは好きだし,そもそもおせっかいなので,気になったことがあったら結構教えたりしている.そこはこうしたほうがいいとか,こういう機能もあるよとか.でもそれは教育とは違う気がする.

 この前後輩と教育とはみたいな話になった.その後輩は,「自分が提示できるたかだか有限個の選択肢に相手を縛り付けるのは耐えられない」みたいなことを言ってた気がする.たぶん.
 まあわからなくはない.

 教育とエゴって紙一重なのかもしれない.というより,大半の教育と呼ばれるものはエゴなのかもしれない.

 前の記事でも言ったけど,研究室入った段階で22歳とかの人間が24歳を終えるまでの三年間で別に大して成長しないと思っている.
 でもそれと,別に好き放題指導していいというのは違う.その学生にはその学生の人生があるし.自分がこうしたほうがいいと思うからそれをやらせるっていうのは教育じゃなくてエゴの色の方が強い気がする.

 自分は割と人の言うことを聞かないほうなので,目上の人にこうした方が良いよって言われても,「いやそれは違うでしょ,自分が思った通りにしよ」っていう思考になる,例え言ってきたのが指導教員であっても.
 自分はその方が良いと思うし,教育をエゴにしないためには教えられる側もそういう心持ちでいた方が良いと思う.
 でもみんなそんなに自分を持っていないから,目上の人に言われたことを全て是としてやってしまう学生も多い.

 あらかじめ,「別に言われたことを全部やらなくていいよ,自分で考えてね」って言ったから解決する問題でもない.少なくとも今は後輩にものを教えるときはそういう風に言ってるけど.

 「大学の先生は自分が自分の指導教員に受けた指導のスタイルに基本的に似てしまう,どんなにその指導が嫌であっても」ってポスドクが言っていた.
 なんかその発言の意味というか理由が最近分かってきたかもしれない.

 

 みたいなことを考えていると,例えそこでの教育が人生にそこまで影響を与えないとはいえ,研究室の学生への教育もそんなに簡単なことじゃないんじゃないかって思ったりして最近悩んでいる.いやまあ別に簡単だと思っていたわけではないけど.

 こういう教育論みたいな話を自分と同じくらいの立場の人に話したいなって思って,分野の数少ないドクターに行く他の大学の同期のLINEをゲットしてまで連絡を取ったら,「大学に残らないと思う」って言われて不完全燃焼に終わっている.

 少なくとも普通に就職する同期にこういう話をしても,大体「お前そんなに人に興味ないっしょ」っていうのばっか返ってくる.
 こいつらなんも俺のことわかってねーなって思いながら,普段そういう態度でいる自分が悪いのかと反省したりしている.

 

 大学教員はまだ誰も知らないことを調べる「研究者」としての役割と,もうわかっていることを多くの人間に教える「教育者」としての役割の二つを兼ね備えているみたいなのをどっかで見たことがある.
 自分は研究が楽しくてドクターに進んだのももちろんあるけど,実はなりたいのは「研究者」ではなくて,「教育者」なのかもしれない.

 最近,「君はうちの分野みたいな狭い領域じゃなくて,もっと視野を広げて色んな分野に踏み込めば?」って言ってくれる先生がいた.ありがたいことに.
 でも,その助言に対してイマイチ納得できないのは,自分がなりたいのは「教育者」だからなのかもしれないなぁと考える修論発表五日前の夜.

 

 その時その時に考えていることを書きなぐっただけなので何言ってるかマジでわかんなくなったけど,自分が将来実際に研究室を作って学生を持った時にどういうなっているんでしょうか.